「座る」が変わった1ヶ月間の探求~ヴァイオリニストのためのアレクサンダーテクニーク

Violin上達しよう

アレクサンダーテクニークって何?

アレクサンダーテクニークのレッスンでは、参加する人それぞれの関心をキッカケにして、「自分がやりたい事」を「自分にやってもらう」ために「自分をどう使おうと思えばいいか」を探求していきます。…と書いた文章自体に、今の僕自身の関心が強く現れているのが面白いところです…このままだと自己満足がすぎるので、ちょっと説明を補足してみます。

アレクサンダーテクニークは、自分のやりたいことをやるための、自分の使い方の質を高めてゆくための道具です。その質を高めてゆく過程で、骨の形や動き方の可能性を学んだり、筋肉が動くためにどんな仕掛けが用意されているのかを学んだり、脳がどんな仕組みでこの世界から情報を集めて処理しているのか…といったことを、僕は学んでいっています。

僕の関心領域…

僕が興味を持っている《ヴァイオリン演奏》《音楽》《教育》《人間社会の発展》《生物の進化》にどのように活かしていくことができるのかを、考えているような考えていないような、でも、その周辺をいつもうろうろしながら、レッスンに参加したり、こうしてMacに向かってテキストを打ち込んでいたりします。

前置きはこのくらいにして、今回のレッスンで探求した「座る」について書いてみます。

今回のレッスンはざっくりこんな感じ…

2013年1月第2回目となるアレクサンダーテクニークのグループレッスン。先生は香港生まれの京都育ち、ホルン教師のバジルさん( @BasilKritzer)です。この日は、楽器を愛するアーティストの集まりになりました。ホルン・ピアノ・パーカション・ヴァイオリン・リコーダーなどなど。

僕が「座る」を探求しようと思った理由

座らない日はない

僕は、オーケストラでバイオリンを演奏します。そのとき、ほとんどが椅子に座って演奏をします。椅子はその時の施設によって、まったく性質が違います。座面が高い・低いであったり、クッションが硬い・柔らかい、座面が丸い・四角い、椅子にキャスターが付いていて転がっちゃったり、座面の前傾が強かったり、座面が後ろに傾いていたり……。

バイオリン演奏以外でも「座る」場面はいくらでもあります。いまこうしてMacに向かっている間も正座、家での食事も正座、電車では椅子に腰掛けるし、外食するときにはいろんな椅子に座ったり、お座敷だと正座やあぐらもかきます。とにかく、座らない日はないです。

レッスン動画 | バジル・クリッツァーのブログ
先日、錦城学園高等学校吹奏楽部にお招き頂き、「吹奏楽部のためのアレクサンダーテクニーク」セミナーを実施致しました。 その様子を撮影し、公開する許可を頂きましたので、ここに一部を掲載致します。 (動画 …
バジルさんは、こんな感じのレッスンしてます。

「座る」ことを試行錯誤していた1ヶ月

自覚していなかったけど振り返ると試行錯誤していたのは坐骨のこと

座ることに問題意識を持つようになったのは、ある日のアレクサンダーテクニークのグループレッスン。「坐骨で座る」……どんなレッスンに参加していても「坐骨…」「坐骨?骨盤と大腿骨ってどうつながってる?」……立ってる時も坐骨……「ラクな首、自由な頭、自分全部がついていく…」「坐骨はここにある」……レッスンのときはわかったつもりになるけど、僕のココロと体のどこかで「なんかすっきりしてないよね?」と、自分に疑問を投げかけ続けてきました。

寝てもさめても坐骨。風呂ですっぽんぽんで体を洗っていても坐骨。忘れた頃に、また坐骨。背中が痛くなっても「あ、座り方が悪いのかな、また坐骨かな?みたいな連続でした。

「座る」を忘れて…また浮かび上がってきた!

坐骨の代わりに、ひたすらバイオリンを演奏することを考えてみた

座ること単品で考えることをやめて、自分にとっての探求の原点である《ヴァイオリン演奏》での体の使い方を探求すればいいや、と開き直ることにしました。その間、5人の先生にそれぞれバイオリンの演奏を見てもらったんです。ユカさん、かつみさん、かなえさん、バジルさん、コウジさん。それぞれに異なる発見がありました。

足もあるということ。腕は脊椎の前にあること。自分がいて、周りに世界が広がっていること。周りでバトルが起きて襲い掛かられても、バイオリンを引き続けられるような気の配り方だとか。音楽がどこにあるのか。弓の長さ、楽器の大きさのこと。いろいろあるけど自分のいろんなパーツが《全部がひとつになって》自分になってること。バイオリンが鳴り響く源は「こする」ということ……

色々あったから、今日という日に巡り会えた!

こうして、バイオリンの周辺を漂いながら自分のことを探求しながら、今日再び「座る」ところにもどってきました。《コンサートマスターとして座る自分の姿》が必要に迫られていたからかもしれません。そして座ってみた。悪くない気もしたけれど、もっといいものが得られそうな気がしてはいた。習慣にひきずられた座り方や、あれこれ実験してきたなかで学んだことを盛り込んだ座り方を試してみたり、ちょっとモゾモゾと動いてはバイオリンを弾いて音を出す。

すると、バジルさんが一言「もう《ちょっと》だけ奥のほうでいいんじゃない?」「で、《ちゃんとする》のをやめて《ダラっとして》」「また《いつものところ》でどうかな?…で、《ほんのちょっと後ろ》…坐骨の出っ張りで座るんじゃなくて、坐骨のとんがってるところじゃなく・平面になってるこの辺で座ればいいんで、そうすると坐骨の後傾がなくなる」とかなんとか。

「座る」ことのコンセプトが変わった!

今回学んだのがなんだったか

「座る」って、こうすること…という考え方が変わった。《体の使い方》は探求しまくっていたんだけど、体の捉え方が違っていたことがわかった。これまでに教えてくれていた先生方の言葉自体には何も間違いはなかった。でも、それを受け取っていた自分の考え方が《ちょっと》違ってた。…ということに気づくことができたのだと思います。

わずか数分のレッスン、わずかな一言で、この1ヶ月のもやもやが、スパッ!と吹き払われました。感謝!

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