コンサートマスターをしていれば、プロアマ問わず、つきものの悩みがあることと思います。そのひとつがチューニングです。いや、私だけでしょうか。でも誰かの役に立つかも知れないので恥をしのんで書いておきます。お役に立つなら嬉しいですし、立たないならそれはそれで立派にチューニングをなさっておられるのだからハッピーなことです。…ということで、今回はチューニングの悩みについて書きます。
チューニングにまつわる悩みは、コンサートマスターでなくともつきまといます。例えば、基準の音程(ピッチ)になかなか合わない。基準ピッチが自分のお気に入りと違う。自分が基準ピッチを出さねばならないときに、音が揺れたらどうしよう。などなど。
こんなに悩み満載のはずなのに、チューニングの時にこうするといいですよと教えてもらったことがある人が、日本の音楽界にどれだけいるのでしょうか?いたら、僕に教えて欲しいものです。チューニングを適切におこなうことが出来さえすれば、アンサンブルがどれだけ楽になることか。
堂々と「私はチューニングが出来ます」と言えたらどんなに自信を持って演奏できることでしょうか。想像するだけでもせいせいします。
たとえば、僕の場合は「オーボエ奏者が出してくれる基準ピッチのA音(440ヘルツとか442ヘルツとか)に、なかなか合わせられない」ことに恐怖を感じてしまいがちです。このことを考えてみたいと思います。
ステップ1 思考の特定
なぜ、チューニングでA音になかなか合わせられないことが恐怖なのでしょうか?
…それは、チューニングの時にAがなかなか合わせられないと「チューニングができないなんてコンマス不適格だ」「音程が違ってもわからないなんて音楽やる資格がない」「チューニングが長引くと練習時間が短くなってしまう」と思われてしまう……と思っているから。うわっ、この時点で僕はもうメゲそうです。大好きなはずのバイオリンを放り出したくなってしまいます。でも、ここが踏ん張りどころ。もうちょっと続けますよ。
ここでは僕は3つ挙げましたが、より根源的なストレス要因と思われるもの1つだけを選ぶことにします。ここでは「音程が違ってもわからないなんて、音楽やる資格がない」ですね。誰のどういうことが恐怖なのかをちょっと補ってもう一度宣言してみますよ。
「僕は音程の違いがわからないせいで、音楽をやってはいけない」という僕のストレス宣言ができあがりました。これで先へ進んでみることにします。
ステップ2 ストレス思考に疑問を投げかける
「僕は音程の違いがわからないせいで、音楽をやってはいけない」
これって本当?絶対に、過去にも未来にもどんなことがあっても100%本当でしょうか?
本当じゃないかも知れない。
ステップ3 本当じゃない理由を3つさがす
- 音程の違いがわかる時もある
- わからなくても他の人が間違いを教えてくれる(わかりたいからこそ音楽をやっている)
- 全員が「これは間違ってない」と思っていても、間違っている可能性はある
- 音程が違うせいで音楽を禁止された経験はない
- 実際にコンマスをやらせてもらってる
ステップ4 ストレス思考の影響を知る
「僕は音程の違いがわからないせいで、音楽をやってはいけない」と思っていると、カラダは……胃がムカムカ、頭がズキズキ、体全体が縮こまってくる。気持ちは……好きなはずの音楽を嫌いになる。逃げたくなる、どこにも逃げられない追い詰められた感じ。
ここまでを誤魔化さずに、自分と向き合うのが大切です。「それって、絶対に本当なの?」って問いかけてみてくださいね。それができていれば、あとは、もうひと踏ん張りしましょう。
ステップ5 もしそのストレス思考がなかったら?
もしも、そんな思考がなかったら……世界中のどんなオーケストラででもチューニングしちゃう。素晴らしい音楽家たちとチューニングできるだけでもハッピーになれる。そういえば、尊敬する素晴らしい音楽家たちは陰口を叩くことがないし、間違いをきちんと指摘してくれていた。
ステップ6 思考のひっくり返し
「僕は音程の違いがわからないせいで、音楽をやってはいけない」→「僕は音程の違いがわからなくても、音楽をやっていい」「僕は音程の違いがわかっても、音楽をやってはいけない」「僕は音程の違いがわかるせいで、音楽をやってもいい」……面白い文章が出来上がりましたが、どうやら全部真実に思えます。
「僕」を「他の人みんな」に置き換えてみると、さっきとはまた違った毒々しさが自分の中に芽生えてきたり、逆に清々しい発見もありました。
『体力が弱いと、生き残れない』 | バジル・クリッツァーのブログ
バジルさんによる、本家【思考の毒抜き】はこちら
チューニングって「調和させていこう」というもの
ここまでやってふと思いました。チューニングは間違い探しではないんだと。他者を尊重して調和を図っていくことなのではないかなと。そんなふうに思ったのでした。