昨日、「座る」ことが、ようやく自分のものになったような気がして、自分の発見の道すじを振り返って書きだしてみました。興奮をしていたようで、眠りにつけないかと思っていたら、いつの間にか力尽きて朝を迎えていました。深夜の更新だったにもかかわらず、思いがけないほど多くの方が関心を寄せてくださったようです。おはようございます、いちろーです。
こうして、バイオリンの周辺を漂いながら自分のことを探求しながら、今日再び「座る」ところにもどってきました。《コンサートマスターとして座る自分の姿》が必要に迫られていたからかもしれません。そして座ってみ …
色々あったから「これだ!」と思えた。そして…
一晩寝て起きて、僕に何が起こったか…
「わかった!」は過去。「じゃあ、それで何をする?」
目が覚めると、朝になっていました。もう、昨日の《発見を手に入れた達成感、満足感》は静まっています。呼び起こそうと、思い出そうとしてももうもどってこないくらい、自分のどこかに格納されているようです。もしかしたら、もうその発見を使い始めているのかもしれない、そう感じています。
《今度は何を手に入れようか》《どうしたら、この発見を人のために使えるだろうか?……でも、僕が使ったとしてそんなこと喜ぶ人はいるのか?めぐり合えるのか?》《まだ「アレクサンダーテクニークの教師資格」は勉強中だし教えていいのか?》などなど、この記事を書きつつ疑念もどんどん湧いてき始めています。
ともに探求する人々、僕を支える人の存在……
世界は、僕ひとりではない。
こうしてMacに向かって記事を書いていたら「あら、お坊ちゃまはおめざめですか(笑」と母が上着をそっと肩にかけてくれました。そのやわらかさ、あたたかさ、やさしさ。僕は、この母から生まれてきたことを思い出しました。そして、隣の部屋では、咳をしたり唸ったりしている父が僕のことを気にかけながら眠っています。
昨日のレッスンで、ともに学びあったバジルさん、かおりさんは、記事のことをTwitterで見つけて、すぐに面白がってくれました。さらに、僕がまだ会ったことのない人が何人も、昨日の記事を、そしてこの記事に関心を寄せてくれていると思うと、急に目が覚めてきました。あらためて、おはようございます!いい朝ですね!
学びのシナジー……インフレーションが起こるとき
昨日のレッスンで学んだのは、僕だけではなかったんです。先生も含めて、その場にいた6人全員が、それぞれに自分への探究心・向上心を持ち寄って、積極的に学びの《発火作用》をおこそうとしていました。見ていたり、聞いていたり、質問をしたり、一緒に体を《ささやかに》動かしたり……。グループレッスンだったから、一人ひとりが先生との対話の時間を持って探求をしていました。でも、そのときにその場にいた人は、一見するとただそこにいただけですが、積極的に参加して学び取ろうとしている、と僕は感じました。
ある人の質問が、僕のモヤモヤをうまく代弁してくれることが何度もありました。不思議な偶然?なんで?……いま、僕の気持ちを読んじゃったの?……みたいな。
アレクサンダーテクニーク教師が素晴らしいのではない…
ほんとうに素晴らしいのは自分自身
《もっとこうだったらいいな》《こんな事で困ってる》という事を抱いて試行錯誤している自分がいます。ときには、行くとこまでいっちゃって、行き場を見失って行き詰まったように感じることもあります。でも、何とかしたくて、何とかしてくれそうな人のところへ足を運びます。アレクサンダーテクニークの教室に限らないはなしですが…。
悩んで悩んで、悩みまくって、それでもまだうまくいかなくて、でも諦めずに、捨てずにまだ悩んでる。僕は、僕自身のことを相当悩んできました。こんなに苦しいのに自分を捨てないんだから相当な自分好きなのかもしれないですね。超・ナルシスト。でも、みんな同じかも。自分のこと、好きだから自分を生きてるんですよね。
そうじゃない人っているのかな?そりゃ、「あの人いいな」「僕より、このひとのここが優れてる」って思うことは、いくらでもあります。山ほどあります。…でも、「でも、僕は僕の感じ方があっていいじゃん」て、すんなりと思えるようになってきました。
そんな自分を受け入れてくれる人に囲まれる幸せ
たとえば、昨日のレッスングループの6人。この6人だったから、昨日の深い学びが得られたんですね。Kさんがパフォーマンスに関しての問題意識から生まれた《一見するとささやかなイス問題》があり、ものすごく奥行きと広がりのある、Kさんの生き方を揺り動かすような《世界観の転換》に巻き込んでもらいました……Sさんが取り組んだパフォーマンスの問題では、《体と道具の関係性》や《道具を働かせるために何をどう使えばいいのか》という考えの見つけ方を再発見させてもらいました……ということがあって、自分の1ヶ月間の「座るってなんだったんだろう?」がこみ上げてきたんです。……しかも、《音のイメージが筋肉を動かす》ことをクッキリとさせることができたし、それだけじゃなくて《プランを持って、そのままやってみること》がどんだけパワフルに働くかも味わいました。……《上手いとか下手って何なの?それって、自分のやりたいことをやめたくなる?》「いや、むしろ続けたくなる。面白くなってきちゃった!」っていう、好きなことへの揺るがない何かに気づきもしました。
メンバーが違う組み合わせだったら、違う展開が待っていたことでしょう。でも、違う状況なら、違うことが起きるでしょうから、違うことを学ぶことができるはずです。違う側面から「座ること」の獲得をしていたことでしょう。
自分に何が起きても、大丈夫。面白い!
いろんなことがあります、僕の周りでも、僕自身の中でも。「そうは言っても、失業したらどうするの?」「突然、死を宣告されたらどうするの?」「強盗にあって、素っ裸で放り出されたらどうするの?」…まぁ、しかたないですよね。冬に裸は寒いかも知れないですけど、ダンボールや新聞紙を恵んでくれる人は見つかるでしょう。
仮に殺されちゃっても、いまこうして充実感を味わっていますからいいんじゃないでしょうか。ただ、せっかく学んだことがあるので、他の人におせっかいを焼いてみたくなってます。まだ死んでたまるか!って思っています。殺されてたまるか!
というわけで、今日一日が新しく始まったけれど、昨日までのことは全部今日に生かすことができて、さらに良くなる余地があることに僕は励まされながら、今日も楽しみます。そして、この楽しみを分かち合うことの出来る人と、また出会えますように!