メニューインというヴァイオリニストは、著書『メニューイン/ヴァイオリン奏法』を残してくれました。ヴァイオリンと奏者について、冒頭で次のように述べています。
その楽器――ヴァイオリン――は、疑いもなく、人間がかつて創ったものの中で、もっとも美しい手工芸品であるとともに、またもっとも気まぐれで扱い難いもののひとつである。その本来の不思議な魅力をいっそう大きくしているものこそ、おそらく、この取り扱い難さなのであろう。
大ヴァイオリニストにして、この言葉なんだから、凡人には扱いにくくて当たり前なのだな、と開き直ってみようと思います。
ヴァイオリン演奏ってなんだろうか?
ヴァイオリンを演奏・練習するときに「どうしたらいいか、さっぱりわからない!」という事態に陥ったら、次のメニューインの言葉を思い出したい。
ヴァイオリンをひくという天職は、そのあらゆる音階とその無限の転調とに習熟し、もっとも繊細で、慎み深いささやきから、力のこもった咆哮にいたる、あらゆる音量、音色を自由に操れるようになることのうちにある。
ヴァイオリンと奏者との《特別な関係》
さっき紹介した言葉に続けて、メニューインは次のように書いています。
そもそも奏者は、いっさい頼るべきものをもたない、独立の存在である。他人の手が、任意のピッチに決めておいてくれることもなければ、かれ以外の人の耳が、調律に指示を与えてくれることもない。ひとりかれのみが主人であり、また僕である。かれの弓が楽器に触れるやいなや、華々しい闘いが始まる。挑戦と応戦、そして、成果はすべてかれのものとなる。
これまでにいろんな出来事があって、投げ出したくなることもあったけど、やめずに続けてこれたのは、このことなのだろうなと思います。
このメニューインの『ヴァイオリン奏法』は、学生時代にテクニカルな探求をするために手に入れた本でした。やはり独習するだけでは時間がかかりました。先生に課題をもらい取り組んで、人にも教えて、またヴァイオリン教師以外からの学ぶことも続けてきたことで、この『ヴァイオリン奏法』に書いてあることが少しずつ分かるようになってきたこのごろです。