林試の森公園で木々と対話してみた〜触れた相手は自分になる

ヴァイオリニストのためのアレクサンダー・テクニーク覚え書き

新宿御苑の松 2013/04/17
新宿御苑の松 2013/04/17 Photo by ichiro_

 前の記事『野外活動って面白い!〜林試の森公園で遊んできました』で書いたように、アレクサンダーテクニーク教師養成コースのクラスで、林試の森公園にいってきました。文字通りの青空教室、林間学校でした。

 道行く人の観察と、走ることに関するアレクサンダーテクニークのワークをしたわけですが、その2つのワークの間に、もうひとつの面白いワークをしました。「木にさわる」です。

 遠足に来ている子どもたち、散歩に来ている老夫婦、鮮やかなウェアをまとって駆け抜けるランナーたち……そして、木に触れる怪しい一団。怪しすぎます。

 講師のKenさんは、木への触れかたに注文をつけました。4つの注文です。

  1. 特に何もせず触れる
  2. 頭と脊椎の関係性を思いながら触れる
  3. 木の全体(葉の一枚一枚とか)を思いながら触れる
  4. 木が何を伝えようとしているかに耳を傾けてみる

 Kenさんの注文内容は、だいたいこんなことでした。で、それぞれが思い思いに散らばって、木に触っていきます。

結局どうだったか

 気持よかったです。

 何がっていうと、自分の大きさ、木の大きさを楽しむことができたし、公園という空間の大きさを実感することができました。公園を作った人や、利用する人々のことも思ってみたり……飛び交う鳥たちの声や、池から流れ出る水の音の肌触りが涼しかったり。

 感覚がどんどん開放されていく、といえばいいかな。普段は、人ごみの中にいて閉じてある感覚に気づいて、どんどん素直に探求していく自分へと変わっていきました。

 若い木や、足場にされた丸太、小屋の柱になった角材にも手を添えてみました。木々の個性がどんなものかとか、木の声なんていうものはわからなかったけれど、同じものはないのだなということはわかりました。

そういえば……

 数日前に、新宿御苑に行ったときにも似たようなことをしていたんだな。そのときは、まるで木の葉ひとつひとつの動きが伝わってくるかのような感じがしたんだな。樹齢が違ったからかも知れませんけども。

触れた相手は自分になる

 触れるということは物理的な距離がなくなることです。相手と自分を隔てるものがなくなります。脳の認識処理においても、同じことがおこるそうです。触れている物を自分として拡張した補正処理が働くということなんですね。これ、道具を使った活動で自分の身に起きていることなんですよね。

 さらに面白いのは、「自分には、そういう自動補正機能が備わっているんだ。へええ」と思うだけで、その働きが強化されるということなんですよね。これ、楽器の演奏に使えるアイデアだと思いませんか?

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