楽譜の見え方が変わった!~指揮を見るときも気をつけたいこと。

Violin上達しよう

前の記事で、2013年初めてのレッスンでのことを書きました。
2013年初レッスン~「分析」というテーマから「見る」ことを再発見した[2013-01-08] | 【バイオリン応援団】いちろーたのブログ
目標物の1ミリ奥(1ミリ裏側)をみようとする」、モノの表面じゃなくて、その1ミリでいいから奥を見るという感じ。これちょっと面白い感じだった。「奥行き視野」って言ってたな。 …
1ミリ奥を見ると、結果的に見え方が広がった!

そのレッスンを終えた後に、雑誌をパラパラ眺めていたら付録の楽譜(ピアノ連弾)が目に止まりました。
いままで、オーケストラや室内楽の何段もあるスコアを読むのは苦手で避けていました。今日、ピアノの連弾譜をメガネを掛けずに「1ミリ奥を見る」つもりで眺めていたら自然と音楽が流れ始めました。これは新しい体験!

知っているメロディーのある曲だったから分かりやすかったのかも知れないけど、「ただ入ってくる光の組み合わせを受け取る」という感じでした。

で、この記事は、最初からメガネを掛けずにピンぼけしたままMacBookProで打ち込んでるわけです。タイプミスも少ないかも知れない。こんどは、バイオリンひくときも眼鏡なしでやったらどうなるかを試してみようと思います。ちょっと不安だからきっとうまくいくんじゃないかな?

追って、報告したいと思います。お楽しみに!

見ることが生み出す予測というリスク

同じレッスンの中で、――見ることが「あるがままを受け入れる」という観察の原則を邪魔するような《予測の働き》を生み出しやすくしているかもしれない――と話題になった。これって、指揮者を見るときとか、アンサンブルで共演するときに陥ってることあるんだよね。社会人になってすぐの頃、先輩指揮者に言われたこと。

指揮棒の何を見るのかによっては、指揮者の意図を拾い損ねてしまう。「きっとこうだろう」と予測するなんて、音楽するうえでは本来ありえない。指揮棒があがって、下りてきて……というときに、上がった動き(アウフタクト)から予測して、下がりきって上がるタイミング(その次のアウフタクトかな?)を予測しちゃうと、意思の疎通は取れない。すれちがっちゃう。

フェイントに引っかかる。…ということが起きるんだよね。あるがままを見てついていくだけでいい…。だから、予め「ここはどう振りますか?」なんて打合せはナンセンスとも言えるんだよね。お互いの技量などの事情により、やむを得ず打ち合わせることになる事が多いわけです、僕としてはまったく不本意なことです。

何をしたいかで「見える」は変わる

どんな望みを持つか。何を知りたいか、何をやりたいかを持つことで、どんな見え方になるかも変わってくる。オケで言えば、指揮者の言いなりになるために見るのと、自分のやりたいことがあったうえで指揮者と向き合うのとでは、指揮者から得られるものは変わるし、指揮者も何をしたいかが変わってくる。どんな人間関係においても同じことかも知れないな。

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