昨日うけてきたアレクサンダーテクニークのグループレッスンの様子を紹介します。
様子と言っても、僕がバイオリンを弾いた前後含めてだいたい8分間程度の出来事です。
▼ちなみに前編はこんな感じ。「バイオリンを準備して、ひきはじめるまで」
さて、ひきはじめてからのレッスンの様子はこんな感じでしたよ。
自分の全体を取り戻すためには、やりたい事以外を手放す
(いちろー、バイオリンを引き始める。ラフ作曲「カヴァティーナ」)
かなえ先生:では、止めます。何にも問題がないんだけど、いつだって私たちには向上する余地があります。頭があって、バランスしてて……。……ちょっと、叩くよ?!いちろー:(叩く?!)K:(バンッ!バンッ!……バンッ!バンッ!)
背中があるのを思い出して下さーい!I:(笑)前ばっかり気を付けてた!K:よく見えるからね。I:自分ではわからない。K:(パンパンパンパン……パタパタパタパタ……背中を叩いている)自分じゃ触れないところもあるよねK:まだ前のほうが強いかもね。I:こないだから、前側のことをずっと言われていたんですよね……。K:さっきと同じことをいいましょうか?「言われたところに集中しない」K:動作は前ですることがすごく多いので、直接気をつけるものはたしかに前のほうが多いかもしれませんね。頭が一番上でバランスを取ります。どこの上か?もうちょい上。思い出せないというか、感覚が絶対にない場所(※)なので…※関節を直接覚知する仕組みは無いI:ああ、そうでした!K:そう!諦めたら大丈夫だから。K:思い出しようがないんだよね、《ズバリその場所》というのは。K:「ある」ということを知って、動けることによって相対的に思い出すしかない。《諦め》ですね。いちろーさんに贈る今年最後の言葉は。I:あきらめあきらめ…あきらめるあきらめる…(とつぶやき続けながら、教わったことを思いだして、うまくいってるかどうかを思いそうになったら「諦める」事を繰り返している…)K:それでもいま人生諦めてないので、立つことができている。全部諦めてたら倒れているので、これで十分なんだよね。
バイオリンを弾く時に、何を気を付けたらいいか?
K:で、バイオリンを弾くとしたら、バイオリンをひける場所まで持って行って、たまには見てもいいと思います。毎回見なくてもいいけど、あまりにも馴染んでいるものなので、たまには見てもいいですね。そして、腕も、もちろん動きを覚えているんだけど、毎回ちっちゃな動きは変わるかもしれない。目的のほう…弦…に、弓の毛が行くこと。それを動かすのが手である。I:(バイオリンをひき始める。曲になりそうな何かを弾いている)K:聞えてきた音をしっかり聴きましょう。音に耳を傾けるのと同時に、おんなじくらい自分の全身にも耳を傾けて。I:(バイオリンを弾き続けている。あれこれが変わり始めたのがわかる)K:それが気づきというものです。(さっきと)全然違うんじゃない?I:(何を変えたんだっけ?)K:どこかに集中しそうになったら、全体。全身を思い出して。I:(とにかく弾き続けている。《お正月》をひき始めた。どんな曲だっけな…)K:お正月を引き寄せましょう。I:(いい感じ。もっと良くなるなら何があるかな?)K:あと、ちょっと、弓の毛と弦が触れる瞬間を大事にして。音色が変わりましたね
今回のまとめ
K:自分を大事にして自分の周りの空間も大事にしてそして動作を、ひとつひとつを大事にして素晴らしい!《自動モード》に入らない?ぜんぜん違うと思います。気づくだけで。じっくり味わってくださいあと、バイオリンじゃないときにも、時々、全部に気づいて触れるものとか、しまう時とかも一個ずつ今やっている動作に気づくという練習をすると、もっと自由になると思います。先生になろうとしているのだったらぜひ練習してみてください。
*所感
「諦める」ってことは、生きることをやめるってこととは違う。自分で何とかしなきゃ、という傲慢を手放すこと。もともと自分に備わっているものが、やってくれる邪魔をしないようにそっとしておくということ。
ようするに、自分を信じて目の前のことを大切にすればいいんだということ。
そんなことを思ったレッスンでした。
▼パブロ・カザルスとの回想を軸に、「本当のレッスン」についての対話集
自然に演奏してください―パブロ・カザルスの教えとアレクサンダーワークの共鳴
ビビアン マッキー 風媒社 2011-12
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▼「あきらめる」ってのは、自暴自棄とは違う。
人生はあきらめるとうまくいく
ひろさちや 幻冬舎 2012-02-24
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