「手首の痛み」について考える~部分から全体を思うということ

 こんにちは、いちろーです。

前回「手首の痛み」のことを考えてみました。
具体的な対処法については、あえて触れませんでした。
それは、痛みそれぞれに、個別の原因があるからです。
原因が違えば、対処も変わってきます。
大事なのは、正しく原因を突き止めることです。
ですから、「手首が痛む」というだけでは、誰も何も助けてくれません。
助けようがないのです。
ではどうしたら良いのでしょうか?

痛みに関する助けが欲しい場合には、情報を集めましょう。

例えば……

――痛くなるのは、どんな時か(何をしている時か。何もしなくても痛いのか)
――痛むのは、初めてか(それとも何回もあるのか)
――痛むようになったのは、いつごろからか。
(……この他にもありますよね?)
ヴァイオリンの演奏をしているときに痛いからといって、痛みの原因がヴァイオリン演奏であるとは限りません。また、逆に、ヴァイオリン演奏が原因なのに、ヴァイオリン演奏の時には気づいていなかったということもあるかもしれません。
ちょっと、まわりくどいことを書きました。
痛みについては、注意深く観察してみてください。
痛む部分そのものが原因であるとは限らないからです。
観察と言っても、見るだけではありません。
情報をあらゆる角度から集めましょう。
それが本当の観察です。
さて、
痛みというのは
「これ以上、他の部分の面倒をみることなんかできないよ」
という、体のある部分からの信号です。悲鳴です。
体の設計とは違う使い方が原因だったりします。
本来の使い方を知っていくことが大事です。
痛みをきっかけに、本来の使い方を思い出す。
私はそんな練習を心がけています。
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