コスプレだっていいじゃないか!【音楽】の楽しみ~音を楽しむ?

音楽の思い出・記録

こないだ初めてコスプレでの演奏を体験しました……サンタの赤帽子、そして、ねこみみ。これがなかなか面白かった。それだけなんですけど、僕にとっては初めてだったんで。まぁ、普段の演奏会で着る黒上下の礼装であってもコスプレといえばコスプレなんですけどもね。

で、思いました。《音を楽しむ》と書いて《音楽》っていうけど、自分だけが楽しむんだったら、それって音楽としては物足りないんじゃないかなー、と。

音楽ってコミュニケーションの手段でしょ。通信手段だったり祭礼の意味もあったりとかするし。…とおもうと、ひとりで完結しちゃったとじた音楽ってのは本当の音楽とはいえないって思う。
そりゃもちろん自分が楽しいのは大事です。でも、自分が音を楽しむだけじゃなくて、誰かを《音で楽しませる》でありたいし《音で楽にさせる》とか《音で楽しくなる》とかもいいなと。そのうえで、《音楽》のためだったら何でもしようと、身を捧げてるのが、一流の音楽家に共通した姿勢だなと。そんなふうに思ったんです。

ひとくちに「楽しければ何でもいい」といえないのが難しいところ。最終的に楽しくなるかどうかは誰が決めるものでもないでしょう?演奏会に限らず、芸事を披露するにあたって僕が悩むところです。

そもそも「楽しいって、どういうこと?」って悩むこと自体がおかしなことでしょうけど、僕はついつい考えちゃいます。いつまで思春期してるんでしょうか、って自分のことがおかしく思えてきます。ふと《人は遊ぶためにこの世に生を受けたのだ》てな意味合いの釈迦の教えを思い出しました。この教えの意味について僕は「生きるってこと自体が楽しいことなんだ、生きることで受ける刺激すべてを楽しむことができるのが幸せってことなんだ」という悟りを説明してるのだ、と理解しています。でも、だからといって「ほら、お前は生きているんだから楽しいはずだ、楽しめ!」と言われて楽しいわけがない。そこが困ったところです。

コスプレ…《普段とは違う自分》を楽しんでわかったこと

サンタの赤い帽子も、ネコミミも普段の自分が身につけないものです。だからでしょうか、恥ずかしいんだけどウキウキもあるんです、僕だけですかね?猫耳じゃなくても、胸元に花を一輪差しただけでもグッと気分が上がるのが分かります。そうやって《普段とは違う自分》を体験したことでわかったことがあります。
それは《普段とは違う自分》も《普段どおりの自分》もどちらも自分だということ。どんな自分であっても、自分なんですね。そして、周りの人は何を楽しんでくれたかというと、《楽しそうにしている自分》を見て楽しんでくれてたみたいなんです。たぶん僕の思いすごしではないはずです。
で、楽しそうにしている人がいることを見つけられたときに、やっと自分が楽しくなる、うれしくなる。まず、自分が楽しむ。そうすると、それを見た人が楽しんでくれて、それを見た自分がさらに楽しくなる…これが楽しくてしょうがなくなる、本当の「音楽」の楽しみなんでしょうね。
「下手でもいい」「下手なままでいい」というつもりはないです。本当に楽しんでもらう、あるいは、作品の良さを伝えようと思ったら下手ではいられないですから。でも、納得のいく出来になるまでお披露目をしない、というのもちょっと違うと思ってます。だからあえて言いたい…「下手くそでもいいじゃん」と。
それにしても、東急ジルベスターの東フィルの皆様はすごかった。よくあれで演奏したなぁ…っていうか、見習います!
おっと、もっと身近に粒オケのみなさんがいましたね。さすがです。
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