ドビュッシー生誕150周年に、加納裕生野(かのうゆきの)さんがピアノを通して僕に訴えかけてきたこと……いや、僕が感じたこと。

昨日は目黒のパーシモンホールに、ドビュッシーを聞きに行ってきました。

後半に入っての「映像 第1集 II.ラモーを讃えて」を聴きながら、僕は自分の生き方を考えてしまった。


ドビュッシーといえば、僕は「印象派」という言葉を連想する。でも、「で、印象派って何?」と聞かれても答えられない。

ドビュッシーの作品というと、音楽であるのに映像が浮かび上がってくるような、不思議な体験をさせてくれる作品ばかり。
「で、印象派って何?」
…と思いながら音を浴び続ける。
(ラモー、バッハ……)
ゆきのさんとの共演が甦る。
(ベートーヴェン……)
(シューマン、リスト、マーラー……)
歴史に名を残した音楽の偉人達。
作曲家は、楽譜に魂を注いで書きつけて刻む。
演奏家には、何ができるんだろうか。
そして、聴いている自分には何ができる?
―ただ、受け入れるだけでいい―
そんな、声を聞いた気がした。
そうなのかもしれない。
なんでもかんでも「変わらなきゃ」と、思いすぎていたのかもしれない。
そんなことを思ったのでした。
タイトルとURLをコピーしました