【バイオリン演奏を教えること】の探求への戸惑い…



今日のユカさんのグループレッスンで「いちろーさん、レッスンのアクティビティで《バイオリンを教えます》っていうのもアリだよ」と言われた。言われて、僕は、目を泳がせて、一瞬首をすくめたような気がした。

「いつかは、レッスンでのアクティビティとして《バイオリンを教える》をやってみたい」と思っていました。実際に教えようとすることを思い浮かべてみると、どんな計画を持てばいいのか戸惑う自分に気づきます。なぜ僕は戸惑ったのでしょう?

教えることへの戸惑いについて探求してみようと思った

《アレクサンダーテクニークのレッスンで、いあわせた人にバイオリンを教える》ということが、普段の自分がやっている《バイオリンを教わろうとしてその場に通ってくれている人にバイオリンを教える》こととどう違うのかを、調べてみようかなと思い浮かびました。

それとは別に、《「教わりたい」と思ってもらうためにどんなことができるだろうか?》という探求もしてみたいと思いつきました。そのうえで、《どんなゴールを設定するといいのだろうか?》とも思いました。

こうした、想像上の遊び、いわば《思考実験》は、意味があるのでしょうか。それとも無意味なものなのでしょうか。実際の相手なしに思考実験するのは、今の僕にはどうすればいいのか思いつきません。どんな人でもいいから仮想上の学習者を設定して、脚本を書いていくと良さそうです。

これまでに、僕が教えてきた生徒さんに対しては、こうした思考実験を経ずに「自分が教わってきた言葉」や「教わったときの身振り」などを真似して伝達してきました。しかし、なにかわからない「伝えきれていない感じ」があるようにも思っています。

バイオリンに限らず、自分が学習してきたこと・教えてきたことの全てについて、こうしたプロセスが待ち構えているように思えてきて、武者震いしているところです。

執筆時間記録 2013-01-15 23:44-24:07
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