余談…昨日のレッスン後の『もうひとつのレッスン』

昨日のアレクサンダーテクニークのレッスンのあと、自分が今度は楽器を教える番でした。中学生・高校生を待っている間、ひたすら自問自答していました――これから先、なんのために音楽と関わっていくのか、何のために人と関わり合っていくのか――怖くなって、泣きそうになりました。

でも、大丈夫だと思えました。何でかはわからない。自分の周りの人、とくに《教えてくれてきた人たちとの関わり合い》の数々が思い出されたからかも知れません。僕が「先生」と呼んできた人たち、そしてそうではない人たち、すべてが今を支えてくれているはずだと、思えたのかも知れません。

結局、昨日の夜は、自分でもビックリするくらいに積極的に生徒さんと関わり合いを持って《ガンガン踏み込んでいって、“中に”入り込んでいって》「いっしょにやろう!こうすると楽しくなっちゃうから、やってみよう!」と、戸惑いが明らかな子たちと一緒に楽器の練習をしました。いままで半年間一緒にやってきた練習は、きちっと身についていることを確認できました。あとは、自分の中にもっているものの引き出しかたを練習していけばいいということもはっきり見えました。よかった。

▼「昨日のアレクサンダーテクニークのレッスン」を、昨日・今朝と振り返ってみたらこうでした。

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