いちろーです。
「楽譜を見るから指揮者を見られない!」ということについて、考えました。
僕の師匠である(勝手に師匠と呼んでいますが )K先生は、「見る」ことについて、こんなことを言っていました。
JINS
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ー合奏の時にね、「棒を見なさい」なんてことを言う人がいる。とんでもない間違いです。
ー棒なんか見たって、なんにもならない。
このようにも言っていました。
ー指揮者なんか見なくっていいんです。
ーずっと指揮者を見てたら、楽譜を見られないでしょ。
ー楽譜を見て演奏してください。
でも、楽譜を見ていたら指揮者を見られないし、コンサートマスターなんて見ていられなくなってしまいます。
ちょっと周囲を見回してみましょう。
目の前には楽譜がある。
でも、この世界には楽譜以外のものもある。
「どんなものがあったかな?」
共演者は……
どんな人がいるでしょうか
どこにどんなふうにいるでしょうか
何をしているでしょうか?
いまいる空間はどんな空間でしょう……
壁までの距離はどれくらいでしょうか
天井までどれくらいの高さがあるでしょうか
どんな材質で、どんな色でしょうか
これらは全部、もともと、見ようとする前から、そこにあります。
でも、「見よう」とすると、「見る必要のあるもの」以外を遮断してしまいます。
「見る」ということを、私たちはどのようにやっているのでしょうか?
光は目から入ってきますね。
目から入ってきた光は網膜が受け取ります。
網膜が受け取った光は、視細胞の働きで電気信号に変換され脳に伝送されます。
その電気信号を脳が処理して「見えている」のですね。
ここで大事なことがあります。
受け取った脳が要・不要を選別しています。
ですから、「見よう」とすると、「見えている範囲」が狭まります。
見ようとしてもしなくても、入ってきている光は変わりません。
そして、脳に届くまでの間は、入ってくる信号はすべて漏らさずに脳に送り込まれてきます。
入ってきた信号をすべて処理し尽くそうと思ったら、それだけでもパニックになってしまいそうです。
だから、受け取った脳が要・不要を選別しているんだそうですよ。
見たいもの以外が完全に遮断されてしまう……これを防ぐにはどうするのがいいか?
「見よう」とする代わりに、「入ってくる光を受け取って、それを使うのは自分」と思ってみるんです。どんな感じがしますか?
見えている範囲(=視野)の外にあるものからも、反射するなどして間接的に光が届いていることを思い出してみてください。
これは、「見る・読む」以外にも応用ができそうですね。
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