「手首が痛い」について考える~バイオリン奏法って何だろうか?ということ

こんにちは、いちろーです。

ヴァイオリンを好きで弾いていると時間がたつのを忘れてしまうことがあります。
「ピキーン☆」と弓を持つ右手首に痛みが走ったことがありました。
この右手首の痛み、いままでに一回ではないんです。
腱鞘炎の前触れとすると放ってはおけない危険信号です。
今回はこの、右手首の痛みについて考えてみます。
どんな時に痛くなったか、ちょっと思い出してみましょう……

ヴァイオリンを演奏していて右手首の痛みに気づいたのはどんなときか

・うまくいかない基本動作の反復練習を続けていて「疲れたなぁ」と思ったとき
・初見に近い楽譜の「おさらい」にうんざりしてきたとき
・自分にとって難易度高めのエチュードが面白く無くなったとき
できればもう一つくらい挙げてみたかったのですが、今思い浮かぶのはこれくらいです。
(他に、思い当たる場面があったらお知らせくださいね。一緒に考えさせてください)
これらの共通点を考えてみると、
・没頭していたゆえに疲れた
ということのようです。
痛みが、疲れや飽きをもたらすのか。
疲れや飽きが、痛みに気づかせるのか。
いったい、どうなっているんでしょうね?
どんな順序かは忘れて考えてみましょう。
「痛み」「疲れ」「飽き」を、安全か危険の2つに分類するとしたら、どうでしょうか。
私だったら、苦痛の類はどれも危険に分類します。
(えっ、異論のある方もいらっしゃいますか?)
では、もう一度分類しなおしてみます。
【安全】……「上出来だね!続けていいよ」
【危険】……「ストップ!ちょっと休んで。別のプランを試したほうがいいかも」
の2つに分類するとしたら、どうでしょうか。
「痛み」「疲れ」「飽き」は自分のやっていることを見つめ直すためのサインです。
体が私に発しているシグナルです。
痛みをこらえて、良いパフォーマンスを続けることは困難です。
また、痛みを忘れるふりをしても同じです。
痛みのないパフォーマンスをするにはどうしたら良いかを探求することが
良いパフォーマンスを、長く楽しむために必要な、本当の探求のあり方だと思うんです。
だから私は自分全体をどう使っていけばよいかを探求していきます。
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