願いが叶う瞬間は突然訪れる

今の会社に勤め始めてからは、決まった休みというものからずいぶんと遠ざかっていました。

それまで熱心に取り組んでいた管弦楽団との活動時間が全く折り合わなくなり、練習会や各種研修など、団員としての活動には距離を置かざるを得ませんでした。演奏会も、ゲネプロ・本番のみというありさま……。

そんな演奏会が2回も続きました。

本来なら、自分が率先してオーケストラを指導する立場であるのに、
エキストラとして出演してくださる方が、練習を一番熱心に指導している…。

これではいけない。
なんとかしなくては。

絶対に諦めない!
やりきって見せる!
今に見ていろ!

休みがなくて、自宅で練習する時間が全くなくなってしまったときには、職場へ毎日楽器を持って行って昼休みに楽器の練習もしました。

それでも、やっぱり練習のある日曜日には仕事を抜けられず。

いっそ違うオーケストラでもいいから、なんとかして音楽に関わる!
他の人と触れ合って、音楽の本当の楽しみを広げたい!

…と、全力でもがいてもがいて、不定期な休みでも活動できるオーケストラを探しているうちに「粒オケ」こと、粒谷区立管弦楽団サジタリウスと出会いました。

そのときたまたま「本番なう!」という演奏会をやる、というメンバー募集を見つけて、参加することができたんですね。そしたら、そこで知り合った人が主宰しているというオーケスト
ラに誘ってもらっちゃったり。そのあと、粒オケのアンサンブルコンサート「粒あん」にも、弦四やら弦六やら協奏曲で出演してしまったり。

いろんな出来事があって、あっというまでした。

大好きな音楽に関わりたいと、もがいていたし、
この会社に対して自分が奉仕できることがもっとあるはずだ!

と真剣に悩んで取り組んできたことが今回の異動を呼び起こしたんじゃないかなと思うわけです。

現部署への異動当時、社内でもっとも過酷といわれた部署で踏ん張って、仕組みをひとつ創り上げました。もちろん、職場の同僚・上司のアイデア提供をはじめとした協力があったから、仕組みを創り上げることができたんです。

結果、社内でもっともまともな部署になったと言えるのではないかと。

けれど、決して一人では何もできなかった。
職場の人には、本当に恵まれたとおもうのです。
愉快な後輩に、どれだけ奮起させられたことか。

今度の異動で部署が変わると、勤務もガラリと変わります。

いままでは、モノを動かす現場。
これからは、本社に入って、全社をサポートするバックオフィス業務。

いまの部署の人間は皆「楽になるねぇ」と言っていますが、
全社を相手にするわけで、見方によっては今以上に大変なはずなんです。

どんなに暗い顔をぶら下げて帰宅しても
いつも声をかけて迎えてくれた弟、
ごはんを作ってくれた母。

そして、朝、必ず体を起こして見送ってくれた父。

家族のことは自分が支えてきたつもりだったけれど、とんでもない。
助けられていたのは自分のほうでした。
ほんと支えてもらったなー。

世間では「アラフォー」と呼ばれる世代に突っ込んでいるので、
音楽隊でもいよいよ仕上げに入る時です。

自分がうけた恩は、全て次の世代へと返してゆくように教わりました。
初めは意味のわからなかった今回の異動を、こうして感謝の思いで受け止めています。

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