「ヤりたい病」から考える~がつがつはダメなのか?

アレもしたい。
コレもしたい。
やりたいことを広げていくと、それこそ際限なく広がってしまいます。今の僕がそうなんです。このままいくと、人生の遭難・行方不明者になってしまいそうです。大事なことは、「本当にこれだけはやろう!」ってものに時間を注ぎ込むことじゃないでしょうか。
「一点突破・全面展開」という言葉があります。
たとえば、言語を新しく学ぶとき。まったく理解できないところから「あれっ?……わかっちゃう!」って切り替わる瞬間があります。発火点とでも言うんですかね、突然、ぱっと火がつく。視界がひらけるんです。楽器をやっていても、それまでまったく演奏不可能だったフレーズが、いともたやすく演奏できてしまうことがあります。
一点突破ってそういうことなんだろうな、と思うんです。
小・中学校では、いろんな教科をまんべんなく詰め込みますよね。中学校は、特にしんどいと思うんです。本当に詰め込むから。でも、このしんどさは、脳力を発火点に持って行くために必要なことなのではないかと。読書も、ひたすら読み続けていくうちに、それぞれの著者の思想が浮かび上がってくるようになるし。
●「量より質」の誤謬
数をこなすだけではダメで、質を追求すべきだ。という人がいます。たしかにそのとおりです。でも、当てはまらない場合はあります。
当てはまらない場合というのは、物事を習得する初期の段階ではないでしょうか。この初歩の段階では、手本を真似ながら、圧倒的な数の失敗例を体験する必要があります。
ふと思ったのですが、性については、「良い手本」を得がたいですね。性行為そのもののお手本はまぁアレですが、結局はよい関係を作るコミュニケーション手段だととらえてみれば、「他者を尊重する」「生命の尊厳ってどういうことなのか」、ということを身につけていればいいのかな?
脱線……。
質を高めるためには、練習量を積み重ねるしかないわけで。練習の動機付けを失わないためには、練習の記録をつけるのがいいです。練習時間の棒グラフを作って、分単位で色を塗っていくとか。折れ線グラフで「日数経過と練習の累積時間」を表現してもいいんですが、初歩の段階では単純に「時間を積み重ねている」ということを重視したほうがいいみたいです。
5分で1マス、10分で1マスくらいの塗りつぶし表を作って、記録してみると練習のモチベーションは、意外と簡単に保てますよ。

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